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2020.9.30

日本におけるジーンズの発展とは??

今回はジーンズがどのように日本に広まっていったのかお話です(^o^)

■アメリカ軍放出の中古衣料がジーンズの原点
第二次大戦が終わり日本は平和な生活を取り戻しました。しかし織物工場や既製服の縫製ラインも破滅的状態から脱しておらず、人々はタンスの中から取り出した古着を活用したり、流通市場に提供したりするような実態でした。
1950年頃の東京上野のアメヤ横丁(アメ横)にはこれら中古衣料、特に当時の若者のファッション感覚をくすぐる品物も多く、一種のファッションのメッカのような場所となっていました。
アメリカ兵たちが着ているチノパンやデニム素材のジーンズも憧れの的であり、これらの商品が豊富に揃っていました。

ジーンズの流行が広がっていくにつれて、当時のジーンズ小売店や消費者からの要望が高まり、新たにジーンズ縫製に取り組もうとする岡山県広島県などの企業や東京の企業などに伝わっていきました。当初はアメリカ製のミシンや付属品などを手配したが、1970年代には次第に国産のものに置き換わっていきました。
藍染めから発展した素材メーカー、綿紡績メーカー、ファスナーなど金属付属メーカー、ミシン機器メーカーの技術革新がそれを可能にしたのです。
1970年以降は国産ブランドも数多く出現し、「ジーンズショップ」という専門店が全国的に発展しました。国産ブランドメーカーとこれらジーンズショップの間では、「こだわり」の消費者の好みを捕えるマーケティング手法で、多くのヒット商品を生み出してジーンズの商品開発の基礎を築きました。

もともと我国のデニムは当時のアメリカに追従して、糸は「リング精紡」、染色は「ロープ染色」方式でした。しかしその後アメリカではコスト意識が優先されて、80年代以降にそれらの工程はほぼ見られなくなりました。
日本では風合いが良く強度に勝る「リング精紡」と色合いの良い「ロープ染色」が温存され日本のジーンズ消費者の満足感を高めながら発展してきました。
今ではかえって欧米から「ジャパンデニム」が高い評価を得ています!!これは日本人の商品に対する評価水準の高さがもたらした結果だといえます。

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